2006年8月19日 (土)

投機戦記

第二章 ブラックマンデイ編(過剰流動性相場の果てに・・・)
その3

ビギナーの俺にとって過剰流流動制相場とは何だっやのか?
世の中は活況をていしていた。
今から想うとバブっていたのだろうか?
俺の会社・・・・最後発の自動車メーカーでの仕事はとんでもないプロジェクトが進行していた。
「フェラーリを超えるスポーツカーを開発せよ!」
その指令は簡潔明瞭だった。
パワー/ウエイトレシオを上げれば世界一のスポーツカーが出来る。
このように書くといかにもカッコいい仕事をしているように聞こえるが、
要は1gでも軽く作れということだった。
当時は当たり前のように鋳鉄で作られていた部品をアルミで作れ。
頭を抱え、冷汗を流しながら部品の軽量化が始まっていた。

この、血沸き肉踊る仕事の他に、俺にはもう一つの血沸き肉踊る世界があった。
俺は買い集めた。
日々のチャートを眺めながら
押し目と思われる押し目には総て買いを寄り成りで入れた。

さあ、
種株は集めた。
いよいよ俺は信用買いを入れだした。

今もよく考える。
が、
結論は未だに見えてはいない。
株とは何か?
当時、俺は右肩上がりの日本経済。
世界一の技術力。
なにより、
世界一の大国アメリカが、日本製のテープレコーダーや、
自動車をハンマーで打ち壊すテレビニュースを見る度に、
未来の薔薇色の人生を夢想し、
そして、株を買った。

株とは何か?
それは株ではなく、資本主義とは何か?
いや、
人間とは何か?との問いかけだったのかも知れない。

だが、
ビギナーズラックは長くは続かない。
その年の春。
証券株は静かに天井を打った。
チャートはウネウネと下りだしたのだ。
右肩上がりの成長を信じる俺にとっては押し目だらけのチャートが続く。
俺は買いまくった。
だが・・・・・

その後、
未だにその最高値を更新した証券株はこの国にはなかった。
なぜ、あの時、俺は証券株のみ買い集めたのだろうか?
過剰流動制相場だと確信していたからなのか?
技術屋の金融屋に対する羨望なのか?

「はしか」だったのだろう。
言葉を変えれば「初恋」でもいい。
いや、
俺の地元の出世頭の才女であり、希望であり、
また、彼女でもあった都市銀行のキャリア「みどり」にたいする競争心か?
嫉妬か?

要するに、今から思えば、欲望の罠に嵌ったのだ。
ビギナーズラックの後に来るのは欲望の罠。
古今東西、相場では当然のようにやってくるらしい。

試練の秋がやって来た。

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2005年10月 9日 (日)

投機戦記

第二章 ブラックマンデイ編(過剰流動性相場の果てに・・・)
その2

あなた変わったわね・・・・
週末の渋谷のカフェーで彼女は寂しそうな目でそう答えた。

みどりは中学の同級生だった。
俺たちは北海道の端っこの町の中学に通っていた。
その町の基幹産業は漁業と酪農。
彼女はその町のさらに田舎の小さな集落に住んでいた。
その集落は、人の数より牛の数のほうが多く、彼女の家も牛飼いだった。
その、米や麦さえも作れない寒冷な集落は、開拓当時にはジャガイモを生産していたが、
度重なる冷害で貧しい生活を余儀なくされ、
政策で酪農が導入されたのは彼女がまだ小さな時だったそうだ。
毎朝、家の手伝いをしてから学校に来る彼女からは、ほのかに堆肥の香りがしており、
それを理由に苛められることもしばしばだった。
が、
彼女は町一番の秀才で、その町から初めて、札幌の進学校に進学し、
札幌の国立大学を出て北海道で唯一の都市銀行に勤め、東京の支店でキャリヤとして働いていた。

彼女の夢は、
薄暗く、貧しく、堆肥くさい牛飼いの生活から抜け出すことだった。
その為に勉強し、貧しいゆえに国立の大学に進学し、
そうして北海道では一番いい会社と一般的に言われてる所に就職した。
そんな向上心の強い彼女でも、就職して東京に配属になったときはさすがに不安だったのだろうか?
すでに学生から東京暮らしの俺に連絡が来て、
いろいろと会ったりしているうちに健康な若い男女の関係に発展していったのは自然なことだったろう。

変わったのは彼女のほうだろう。
すでにこの都会で暮らし始めて4年。
そのストレートのセミロングの髪も、
昔、めがねっ娘といじめられてためがねをコンタクトに変えた濡れたような瞳も、
何より、背筋をピンと伸ばして、紺のスーツに身を包んだ、自信いっぱいの
小さな胸のふくらみが俺には眩しかった。

俺たちは一緒に住むつもりでいた。
彼女の職場の大手町と、俺の職場の郊外の工場のちょうど中間点の都心から少し離れた
私鉄沿線に2LDKのマンションを彼女が頭金をだし、
足りない分は俺名義のローンで買ったのはその前年(85年)の春だ。
彼女は一足先にそこに住んでいるのだった。

あなたの話は前は・・・波や、車や、そんな話ばかりだった。
今は株の話ばかり・・・・
仕事が終わってからもお金の話を聞くのはウンザリだわ・・・
それもそうだろう、
彼女は都市銀行のキャリヤで金融のいわばプロ。
駆け出しの相場師気取りの俺とはレベルが違うのだろう。

そんな週末の彼女とのお決まりのデートの最中に
ドライマティーニを舐めてるときも、
高層ビルの夜景を眺めてるときも、
そして、彼女が儚いカナリヤの鳴き声で喘いでいる時にさえ・・・
俺の頭の中ではチャートが駆け巡っていた。

翌朝、
俺は信用取引デビューを果す。
まずは種株で現物を集めることから始めた。
幸い、俺の職場はすでにフレックスタイム制で朝は10時までに出勤すればよかった。
その日、9時少し過ぎに地場証券の担当に電話をし、
朝の株価を確認してから注文を出した。

大和証券、
現物買い、指値1500円×1000株。

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2005年10月 1日 (土)

投資戦記

第二章 ブラックマンデイ編(過剰流動性相場の果てに・・・)

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暫く書けなかった回想記ですが、昨今の過剰流動性相場を見て記憶が鮮明に蘇ってきました。
警鐘の意味も込めて毎週とはいかないまでも記憶を辿りたいと思います。
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俺は半年間、我慢した。
いや、株とはそういうものと思っていた。
85年の年末に初めて買った株「石川島1万株」は160円くらいだったろうか?
その株は年初に150円ぐらいまで下がった。
そんなものか?とも思ったが、売るつもりはまったくなかった。
そうして夏が過ぎた頃に500円を越えていた。
年末に証券会社に入金した200万は含み資産で600万になっていた。
師匠と慕った爺さんの家へは週末に月1回のペースで遊びにいった。
爺さんは約定通知を俺に見せてくれて石川島の玉の出し入れを教えてくれた。
が・・・
パフォーマンスは買いっぱなしの俺のほうがはるかによかった。
爺さんはピークと思えるところで必ず繋ぎを入れる。
そして、これが悉く踏まされていた。
俺は爺さんに質問した。
「現物を担保に信用も買いっぱなしになぜしないのですか?」と・・・
爺さんは言った。
「それはそうかもしれないが・・・・今だけだな。
いずれわかるさ・・・・10年後、いや5年後か・・・もっと近い将来かな?」
納得は出来なかった。
俺ならもっと上手く儲けれる。
ビギナーのまぐれが自信となり、それが過信となるのはそう難しくはない。
俺が上手いのではなく、20世紀最大級の過剰流動性相場の波頭にビギナーがチョコンとボードの上に座っている。
今から思うとそんな光景だったのだろう。

当時、4大証券で信用取引と言えば預かり資産は1000万だったか3000万だったか・・・
ともかく一介の20代サラリーマンが手を出せる代物ではなかった。
が、
小さな地場証券ならば500万からやらしてくれた。
俺の株を預けてる証券会社にも系列の地場証券がある。
そこからある日電話が来た。

その電話は最大級のお世辞と絶賛に飾られていた。
「株には運が必要です。
何より初めて買った株でこんなに儲けた人を見たことがありません」
師匠と敬う爺さんとはまったく別の言葉を聞いた。
が、
悪い気はしない。
なにより師匠の取引を見ていた俺は、
現物担保の信用買いで大儲けできると確信していた。
俺は話に乗った。

今でもその約定値段は覚えている。
10月1日。
俺は証券会社を替えるために売り注文を出した。
「石川島、1万株、寄り成り行き売り」
証券会社のロビーで電光掲示板を固唾を飲んで株価が表示されるのを待った。

まだか?
買い気配・・・
心臓が凍りつくような長い沈黙の時間が流れる・・・

640円が点滅した。
そして、するすると上昇しだす。

おれは160円を640円になるまで乗った大きな喜びと、
さらに上値を切り上げる株価を見ての後悔を暫く噛み締めることになったのだった。

そして、過剰流動性の波頭の上をボードの上にちょこんと座っていたビギナーは
いきなりその頂点で自らの意志でボードの上に立ち上がったのだった。

それにしてもビギナーズラックとはなんとも凄い。
あろうことか・・・
その、寄り成り売りの日、寄り付後にスルスルと騰がった株価の高値はその年の高値となった。
それは俺にとって幸運だったのか?不幸だったのかは今でも謎である。



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2005年8月27日 (土)

回想:松尾山の投機戦記

ishi

今、思う。
俺は初めて株を買った。
160円で波に乗った。
ここだけは怪しいが、、、どうやら俺の意思らしい。。。
そして650円で降りた。
爺さんが降りれと言ったから降りた。
そうして・・・爺さんが乗れと言ったので
450円で再び乗り。
700円で降りた。

この、人類の歴史が始まって以来のバブル。
この大波にビギナーズ・ラックはあった。
だが、それは・・・破局への序章でもあった。
サーファーは波に乗ったらあとはただ乗りこなすだけでいい。
この時期。プロはどうやら大敗したらしい。
そりゃそうだろう。
今まで、誰も経験したことがない大波だ。
今の俺なら・・・・売る。
だが、、、プロは90年以降に本領を発揮する。
俺はラッキーなことにその前の。
今から思えばほんの小さな引き潮に足をすくわれた。

そして・・・
買いしか知らないビギナーはやがてくる中間反落でその人生を大転換した。

俺はその前に。
160円×10000株が650万になり。
450円で再度15000株買い。
700円で降りた。

200万の資金はほんの2年も掛からずに1000万になった。
俺には狐でも憑いていたのだろうか??
このあと、銀行から俺の安アパートに電話が掛かってきた。

こんな電話は初めてだった。いや。。その後もない。
金を借りてくれという電話だった。
その15年後。50円額面で150 円になった財閥系の銀行だった。

俺はその電話の後。
初めて身銭を切って銀座に行った。

その晩。おれは年収分を一夜で使った。

第一章。プラザ合意編  完

次回よりBM編。

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2005年8月 6日 (土)

回想:松尾山の投機戦記

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第一章
プラザ合意編-8

図書館で新聞の束と格闘しながら、俺は「場帳」に4つの数字を書き込んだ。
日付。始値。高値。安値。終値。
なんだか毎日、代り映えのしない数字が並んでいく。
なにも感じなかった。
さらに
爺さんから言われた通りに、A1のグラフ用紙を縦に使い、縦軸を0円~1000円としてグラフを終値のみの折れ線グラフを描きはじめる。
1983年から1984年までは150円から200円の間を小さな山を2回つけていた。
なんとなくリズムがある、冬に高いのだ。
そうして1985年になるとなぜか夏に急に騰がりだした。
今までの高値を抜けて250円台を伺う動きのあと、10月に急落してまた150円台になった。
「あぁ~、これがプラザ合意ショックというやつか?」
俺は妙に納得した。
そして、ふと気が付くと、ビギナーズラックとはいえショック後の急落後に底値近郊で10000株を一点買いしているのは俺ではないのか?ということに「初めて」気づいた。
ウネウネと一定のリズムで上下する線はまるで真夏の湘南の辻堂の前浜のように穏やかな波である。
この波の底で買い、頂点で売る。なんと株とは簡単なものか?
「これではこの波が20年も続けば、俺の資産はこの国の国家予算を超えるのではないのか?」
俺は真顔で思うのだった。

だが、辻堂にも台風のウネリは9月にはやって来る。
今までビギナーや陸サーファーのメッカだった辻堂の浜もセミプロ級のサーファーのフィールドに変身する。
1985年の石川島は6月ごろからウネリが成長しだす。
それはまるで遥かフィリピン沖で発生した台風のウネリが徐々に、だが確実に、その強大なパワーを補給されながら北上し、
やがて烏帽子岩をも飲み込む程のパワーは青い壁のように立ちはだかり、波間に漂う流木や、ゴミや、そして波乗り達を高速で岸に向かい押し流す。
だが、やがて青い壁は白い泡の壁となり、黒い砂浜に総てのエネルギーを叩きつける。
石川島の10月の急落はそんな感じの波動を描いていた。

これが、相場の波動であろうか?いや、鼓動かも知れない。
9月のビックウエーブに乗るにはほんのちょっとのバトリングだけでいい。
だが・・・その前に、何回も大波に逆らいながら沖に向かう。
時に波に巻き込まれながらも・・・ビギナーは決して沖には出れないのだ。

俺は・・・もしかして・・・相場という浜で・・・ひょんなことから偶然に沖に出てしまった9月のビックウエーブ・ディのビギナーサーファーのようなものではないのか?
そんな不安がふと、頭の中をよぎるのだった。

続く・・・・

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2005年7月31日 (日)

回想:松尾山の投機戦記

第一章
プラザ合意編-7

メーカーの休みは長い。
年三回、正月、ゴールデンウィーク、お盆には一週間ラインを止めて点検するからだ。
点検する工機部門以外は長い休みを享受できた。
その日、目覚めた俺はまずボロアパートの窓を全部開けはなった。
空は青く、雲ひとつない。
俺はこの都会の良く晴れた寒い冬の日の朝が好きだった。

俺は、初めてデートにでも行った日の朝のように、
心を弾ませながら朝の九時少し過ぎに証券会社に入っていった。
目指す爺さんはすでにいつもの席で株価ボードを見つめていた。
俺は爺さんの横に座り、そしてボードを見つめた。
石川島の株価は相変わらず150円台後半をウロウロしている。
「小僧、本でも沢山読んでもはや一端の相場師気取りであろう」
突然しわがれた声を発した爺さんは俺の心の中に土足で入って来た。
図星であった。
「どうして・・・判るのですか?」
俺は少し動揺しながらもどうにか反撃の狼煙をあげる。
「どんな本を読んだ?」
一通り読んだ本のタイトルと学んだことを喋ると思いもかけない言葉が返って来た。
「無駄だな」・・・・え?。
「いや、百害あって一利なしか」・・・・・返す言葉もない・・・・
「言い過ぎたな、相場のルールや語句を知ることはまずは大事かも知れぬのう?」
爺さんは急に優しい目になって子供を諭すような言葉になっていた。
俺は出来の悪い生徒のように今、頭で精一杯考えていることを言う。
「’あの時’はよく考えもせずに石川島を10000株も買ってしまいましたが・・・
銀行なんかにも分散したほうがいいでしょうか?」
爺さんの目は鈍く光った気がした。そして俺に「命令」した。
「小僧、上手くなりたかったら今からいうことをやって来い」
爺さんの命令は二点。
ひとつは石川島のチャートをつけること、それも書式まで指定してきた。
まず用紙はA1のグラフ用紙。これを縦に使い、目盛りは一番上が1000円、下が0円。
これに過去2年分の終値の折れ線グラフをつけること。
あと一つは・・・・それが出来るまでここ(証券会社)には来ないこと、
当然、石川島10000株は買ったままにしておくこと。
そして、あとひとつ。「今すぐ帰ること」だった・・・・。

俺はなんだか興醒めしてしまい、
言われた通りに証券会社を出て商店街でA1のグラフ用紙と
1冊のルーズリーフノートを買ってボロアパートに帰って行った。
そうして、ルーズリーフノートには黒いマジックで大きく題名を記入したのだった。

「場帳」・・・・と。

続く
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例の商品のバーチャルトレードは8月より全員証拠金がリセットされ、
300万から再スタートです。
拙者も「nocturne」さんに負けてはいられず・・・と。
原油の注文出しておきました^^
内容は・・・・秘密でっす^^/

資産運用ゲームに参加して、入賞すると車や旅行、液晶テレビがあなたのもの
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2005年7月24日 (日)

回想:松尾山の投機戦記

第一章
プラザ合意編-6

空を血に染めたような真っ赤な夕日が白い山脈のかなたに静かに沈んでいた。
1986年はいつものように穏やかに始まった。
しかし、この国のトレンドは静かに舵を切ったタンカーのようにゆっくり、しかし着実に
変化していた。
プラザ合意により始まった急激な円高に輸出企業は悲鳴をあげた。
俺の勤める自動車メーカーは直撃を喰らった。
急遽円高対応コストダウンチームが大掛かりに結成され、俺もその中の一員だった。
現在の量産車の総ての部品、ネジ一本にいたるまでの設計図が見直された。
1銭でも安く、1gでも軽く・・・乾いた雑巾を絞り始めた。
設計部門はまだましなほうで、生産管理部門ではあらゆる生産設備の見直し、
オペレーターの動きを1秒にいたるまで見直された、オペレーターはトイレに行く回数まで管理されていた。
日銀は日米金利差に恐々としたのだろうか?
急激に進む円高に金融を緩和し、インフレ圧力を放置した。
この国では、従来は過剰なマネーは輸出企業の設備投資に向かっい、再生産され、高度経済成長を実現させていた。
しかし、今回だけは「事情」がそれをゆるさなかった。内需は活況を呈した。
今、この国の国民は、乾いた薪の上にガソリンをまいて、その上の鍋の中でぬるま湯にしたって戦後の経済発展のピークを謳歌していた。
スコールのような日本製製品の輸出に悲鳴をあげた青い目のトレーダー達は伝家の宝刀を抜いた。プラザ合意という政策圧力で通貨の減価によりこの国の乾いた薪に火をつけたのだった。
過剰なマネーはトレンドを変え、土地や株にターゲットを絞った。いや、それしかなかったのだろう。だが、まだその兆候に一般市民は気がついてはいなかった。いや、一般大衆どころか、金融のプロでさえ気がついていたのかどうか?

ありふれた正月を故郷で読書三昧ですごした俺は、大発会のニュースを見て、もはやいてもたってもいられなくなった。
予定を早く切り上げ、千歳発16:00の羽田行きに飛び乗った。
眼下に広がる夕日を眺めながら俺の頭の中は極度に混乱していた。
1gでも軽く、1銭でも安くと深夜までラーメンライスを食べ、胃潰瘍の薬を飲みながら仲間達と命を削る世界。
かたや、数字が踊り歌う世界があった。そして見てしまった。ほんの数秒の数字のランダムウオークがまるで自らの意思を持つようにひとつの波に育ち、やがてあらゆる物や人をも飲み込んでいく。
一本90銭のネジを89銭に血を吐きながらCOST DOWNする下町のおやじ達の一年間の生活費など、ほんの1サイクルの波を捕まえただけで稼いでしまう爺さんに俺は今、会いたくて仕方がなかった。
それは、まるで中学生の頃の俺が、想いをかける少女に初めて2人で会う約束をした、前の日の夜のような気持ちであったのかもしれなかった・・・・

眼下の夕日がやがて暗黒の世界となり、ポツポツと集落の明かりが点在し始めた頃、
俺は軽い睡魔に襲わて別の世界にいた。
そこには大勢の人が集まり、指を振り上げ何かの手振りをしていた。
その中央には黒板があり、少年が数字の羅列を書きたしている。
黒板の向こうの倉庫のようなバラックには俵が山積みされていた。
一人の青年が顔を高潮させながら目を輝かせ、指をかざしながら何かを叫んでいる・・・

気がつくと眼下には大都会が広がっている。
シートベルト着用のアナウンスで別の世界から引き戻された俺は、あの別の世界の青年のことに想いをはせた。あれは・・・会いたくてしかたがないあの爺さんの若い頃なのか?母に聞いた曾祖父の亡霊か?いや・・・俺だったのかもしれない・・・
急激に高度を下げて旅客機は着陸態勢にはいった。
窓の外にはオープンして数年経っても盛況なレジャーランドのシンボルのお城がライトアップされていて綺麗だ。
日々、ネジ一本に格闘し、週末に好きな女と、その女が生んでくれた小さな子供と3人であのレジャーランドの中で楽しむ。
郊外の小さな幸せな家に住み、胃潰瘍の薬を飲みながらも住宅ローンを返済する。
そんな平凡で一般的な小さな幸せが、目を覚ました瞬間に遠くに逝ってしまった。
そんな・・・気がした。

続く・・・・・

*諸般の事情により今後表記方法を一部変更させていただきます。
(例:拙者→俺)

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2005年7月16日 (土)

回想:松尾山の投機戦記

第一章
プラザ合意編-5

「それから一年間、相場を忘れて仕事に打ち込んだ」
とは・・・嘘であろう。
確かに一年間、売買はしなかった。
が、
毎朝朝刊で、しっかり「石川島」をドキドキしながら株価チェックしていた。
本も買って読んだ。
入門書から始まり、株価形成の仕組み、経済指標の読み方、四季報の読み方・・・

1985年の年末に買った「石川島」は確か160円ぐらいだったと思う。
そして正月休みは実家に帰り、じっくりと何冊もの「株入門書」を読破した。
そんな拙者を久々に家に帰ってきたのを喜んでいる母は心配そうに見ていた。

母 :株は怖いよ?お向かいのお爺さんも株の信用取引とかで、
   たいそうな借金をのこしたとか?
   まじめにコツコツと働くのが一番。
   そんな怪しげな世界は止めたほうがいいと思うわ?
   それにお前は小さい頃から理科や算数が好きだったのだから、
   今の仕事のことを勉強したほうがいいよ?

当然の心配であろう。

拙者:でも・・ほら、チャートってなんかこう、数学的で面白そうだよ?

もはや、何を弁解しても不安そうな眼差しに母であった。
まじめな技術系公務員の父に専業主婦の母、
そして、拙者は自動車メーカー、
弟も工業大学から電力会社へと一般的な理系の家庭である。
とても「相場師」が育つ環境も血もなかった。
と、思っていたが・・・
母が重い口を開いた。

母 :私のおじいさんの血かねえ?
拙者:・・・?おじいさんって?
母 :実はね、私のおじいさん・・・あなたの曾お爺さんね、
   戦争前の話だそうだけど・・・大豆の仲買人をしていて北海道に渡ったそうなの。
   一時は凄く儲けたらしいけど・・・恐慌の時に大損して・・
   最後は儚く死んだって聞いてるわ・・・
   実家がね、山形の酒田で、確か米の仲買人とかだったらしいけど・・・

後に知ることとなるが、酒田といえば東北の米の集積地として栄えた町である。
拙者は初めて聞いた話に驚き、
なにやら会ったことも無い曾爺さんと遠い昔の物語に思いを巡らせた。
そうして、何か捕らえどころの無いものに一瞬、身震いしたのであった。

続く・・・・

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2005年7月10日 (日)

回想:松尾山の投機戦記

第一章
プラザ合意編-4

3人の客から買い注文を受け、店内は俄然活気づいた。
いや、
正確にはそう感じただけだったのだろう。
「いったい・・・俺はいつ注文だせるんだ?」
なにやら焦りを覚え、電光掲示板にある、石川島に注目していた。
すると・・・
値が点滅して今まで1円幅で動いていたものが、急に2円値上がりした。
さらに数秒後、また2円値上がりした。
もはや拙者は焦りというか・・・不安になったのである。
その時、やっとカウンターに呼ばれた。
受付:おまたせいたしました。口座開設が終了しましたので注文を出せますが・・・
    石川島1万株でございましたでしょうか?
そう聞かれて、拙者はその時の「焦り」と「不安」をひとつの言葉で表現してしまった。
拙者:はい、まだ「売り切れて」ませんよね?
次の瞬間、店内から「ドッ」と笑い声のようなものが発せられた・・・
いや・・・
客4人とカウンター内に4人で「ドッ」はないと後から思ったが、その時はそう感じた。
拙者はもはや恥ずかしいやら早く買いたいやらでともかく真っ赤になってたらしい・・・
受付:(笑いながら)大丈夫ですよ~、ご注文は指値、成り行き・・・どういたしましょう?
拙者:指値?成り行き???
実はそんなこと知らなかった。
が、
さっきの爺さんの注文方法を思い出した。
そして、それを言うとなにやら「汚名挽回」のように思い、
気を取り直して、大きな声で堂々?と注文した。
拙者:いや、1万株を引けまで10回にわけて1000株づつ成り行きでお願いします。
店内に一瞬沈黙が流れ、そして「ドッ」と発せられた。

その後のことは瞬間、羞恥心のためか?記憶がない。
気がつくと爺さんが隣にいて、人の注文をかってに変えてた・・・
「指値出来ずば引け成り行き」
こうかえられた注文を不安に思いながらも、なにやら気後れしてしまった拙者は
爺さんに促され、一緒に電光掲示板の前の長椅子に座った。
そして長い長い沈黙の引けまでの待ち時間が流れた。
電光掲示板ではさきほど4円も一挙に騰がった株価が暫くもんだあと、
ジリジリと下がってきた。
爺さん:思った通りまだプラザ合意のショックで上値は重いのう。
    連れ安しておる今が買い時じゃの・・・
拙者:・・・・・・
そして場が引けた。
爺さん:ほう!、寄り引け同値の上髭「鍋ぶた」じゃのう?
拙者:・?・?・?・・・・
そうして拙者はカウンターに呼ばれ、「無事?」約定したことを告げられ、
なにやらえらく疲れたので久々の有給休暇ではあるが、
まっすぐ会社の寮に重い足を引きながら帰ることにした。
証券会社を出て最寄の駅までの道をトボトボ歩いていると、
いつの間にか隣にあの爺さんが歩いていた。
爺さん:小僧、仕事は何してる?
拙者は「小僧」という言葉にもはや反発する気も失せ、従順に答えた。
拙者:はい、駆け出しですが・・・一応自動車のエンジニアです。
爺さん:ほう!。それはいい、わしも「最初」は造船エンジニアじゃった・・・
拙者はその爺さんに急に親近感を覚えて「ひとつの不安」を質問した。
拙者:あの~。騰がりますかね?
爺さん:ハハハ、相場は相場に聞かぬと判らぬのう・・・
     ただ・・今日買ったことは2年ぐらい忘れて仕事に打ち込むことじゃ。
     わしはいつもあそこにおる。
     相場のことでなにかあったらいつでもきなされや?

そうして拙者の長い一日は終わった。
拙者は従順にもそれから約一年間、相場を忘れて仕事に打ち込むのであった。

続く・・・・

     

    

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2005年7月 2日 (土)

回想:松尾山の投機戦記

第一章
プラザ合意編-3

電光掲示板の中に「石川島」はあった。
たしか150~160円ぐらいだったと思う。
(ちなみに約定通知書はブラックマンディの時に破いて捨てたので
正確な約定値は今となっては謎である)
ただ、覚えているのは・・・
点滅するたびに1円下がったり上がったりしてた。
今となってはあたりまえのことではあるが、、
当時としては、
なにか点滅するたびに買値が1万も動くのには軽い興奮と焦りを覚えた。
その時、
隣のじいさんに突然、話かけられた。
「ほう、初めて買う株は石川島で一万株か?楽しみだのう?」
目が笑っていた。
このじいさん、拙者がカウンターで話してることを聞いてたらしい?
どうやら耳はいいようだ?
拙者は、その「楽しみだ」という言葉にちょっと引っかかった。
「楽しみだ」とは今後の値上がりが「楽しみ」なのか?とおもったが、
次に発せられた言葉でどうやら違う「楽しみ」なのかもしれないと感じた。
爺さん:わしも初めて買ったのは重工で一万株じゃった
拙者 :重工??
爺さん:三菱重工じゃよ。
拙者 :買値からどれぐらい騰がったんですか?今、いくらだろう?
拙者は「石川島」の隣で点滅している「三菱重工」に目を向けた。
爺さん:その時はな・・・おいおい、とっくに売ってるぞよ。
拙者は「売る」という言葉にちょっとだけ驚いた。
その時はまだ「売る」ということを想像だにせずに買いに行ったのだった。
拙者 :株って持ってれば配当を貰えて値動きはするけど地道に値上がりするものではないのですか?
爺さん:ハハハ、わしも昔はそう思った・・・ますます「楽しみ」だのう・・・
拙者は少し馬鹿にされた気がしてちょっとムッとなった。
が、
まるで独り言のように爺さんはしゃべりだした。
「今、プラザ合意で円が急騰している。日銀は過度の円高がリスク要因となって
利上げは出来ないであろうのう。面白い時代がはじまるぞよ・・・
これからは内需の土地持ちじゃ。石川島はいいぞよ。」
拙者にはまるで何を言ってるのか判らなかった。
が、、
係長と同じようなことをさらにもっともらしく言う爺さんに少し驚いた。
そして・・・
なんとなく、急に、その爺さんが株の仙人のように見えてきた、
多少ではあるが、その風貌も影響してたと思う。
爺さん:どれ、いい機会じゃ、わしも買い増しするとするかのう・・・
そういって、爺さんはカウンターに行き、こういった。
「ねえちゃん、石川島を5千株ずつ引けまで10回に分けて成り行きで買ってくれ。
石川島、買い。五万株じゃ!」
そうすると、ロビーにいた小奇麗な初老の男性と派手なおばさんもカウンターに
行き、なんと石川島の買い注文を出したのであった・・・
拙者は口を開けてあっけに取られて見ていたのであった。

続く・・・・

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2005年6月26日 (日)

回想:松尾山の投機戦記

第一章
プラザ合意編-2

証券会社に入ったことなど初めてであった。
銀行の窓口のイメージを持っていた拙者はちょっと驚いた。
たしかに見た目は似ていた。
ただ、壁一面に電光掲示板があり、
数字が点滅しながら刻々と変わっていたが、、、
驚いたのは客の少なさである。
カウンターの前の長椅子にいるお客はゼロ。
ただ、
電光掲示板の前のロビーのようなところに3~4人の
比較的年配のお客がいるだけである。
なにげに異様な雰囲気に、やっぱりやめようか?と思ったが、、
ちょっと勇気を出してカウンターに行った。
拙者:すみません、株を買いたいんですが、、、
受付:いらっしゃいませ、当店でのお取引は始めてでらっしゃいますか?
拙者:はい・・・っていうか、、株買うの初めてなんですけど・・・
受付:ありがとうございます。具体的な銘柄などはお決まりですか?
拙者:石川島を1万株でお願いします。
その時、背中に一瞬、ロビーからの複数の視線を感じた気がした。
受付:少しお待ちください。
受付の女の子は自分と同世代ぐらいでなんとなく親近感が持てた。
その子はカウンターの奥にいる中年の男性と話をしにいき、
こちらに戻ってきて拙者をBOX席のようなところに案内した。
そして、まずは口座を開設ということでなにやら面倒な書類を書かされたが、
手続きに少し時間がかかるということでロビーで待つように言われ、
電光掲示板の前の椅子に座った。

そこには、
小奇麗な初老の男性、かなり太めでやたらに派手な格好のおばさん。
そして・・・・
白い髭を蓄えた見た目70はとっくに超えていそうな老人が座っていた。
そして、やたらと優しげな視線で拙者のことをみていた。
拙者もその少し微笑んだような、、
かといって特に含みをまったく感じない視線に軽く一礼したが、すぐに
電光掲示板のなかに目当ての石川島を探した。

続く・・・

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2005年6月24日 (金)

看視銘柄(改め松尾山の投機戦記)

看視銘柄(松尾山の投機戦記)
第一章
プラザ合意編-1

ジャパンアズNO1
そんなタイトルの本が売れてたのはもっと後のことだったろうか?
まさにそういう時代だった。
都内の三流私立工業大学をなんとか卒業した拙者は
後発の輸出企業の、まだ新米に分類されるエンジニアだった・・・ある時、
団塊の世代の係長との出張帰りの新幹線の中でこういわれた。
係長:君は株は持ってるかい?
拙者:持ち株会ならやってますが?
係長:そうか・・・他の会社の株は?
拙者:いえ・・・高くて買えませんよ・・・
係長:せっかく資本主義の国にいるんだ、資本主義で一番なのは資本家だよ?
拙者:株主ってことですか??でも持ち株会なら積み立てですが・・・1000株も・・・
係長:100円ぐらいの会社もあるから・・・貯金があって余裕があるならいいと思うよ?
拙者:そんな(安い株価の)会社の株価が上がるのですか??
係長:プラザ合意で円高が進んで、今、うちの会社、大変だろう?
    これからは内需さ、都内に土地をたんまりと持ってるような・・・
拙者:具体的にはどこですか?
係長:そうだなあ、
    石川島なんていいんでないか?土地持ちで公共事業の比率も高いし・・
    たしか150円ぐらいだよ?

それ以来、拙者は毎朝朝刊で石川島の株価を気にするようになった。
そして、、、新車を買おうと貯めてた貯金に冬のボーナスをたし、有給休暇をとって
山○証券の門を叩いたのであった。

もちろん、チャートをつけてタイミングを計り買ったのではない。
自分の資金の都合だけである。
当然、看視銘柄などという観念などあるわけがない

続く・・・・

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